●バブル崩壊直前の最盛期に就職活動
 正直言って、
「将来こういう仕事をしたい」
という夢や希望があった訳ではない。
 なんとなく電気製品が好きだったし、大学で少々情報処理(学生時代は苦手であったが・・・)を学んでいた事や、大学2年生のときの企業実習で、日立ソフト(株)にお世話になった事もあったので、日立ソフト(株)に就職する事になった。

 当時の就職状況は、現在と違って売り手市場だったので、今の学生さんのように苦労はしてはいなかった。


●平成2年4月、晴れて入社
 ピカピカの社会人1年生として、人一倍、仕事を通して社会に貢献しよう、会社に貢献しようと決意を秘めていた。
 入社して5ヶ月位は新人研修。同期の仲間と慣れないスーツを着て、よく飲みに行ったり、旅行に行ったり学生気分を残しつつも、
「自分は社会人なんだ」
と少し誇りを持っていた・・・。

 9月になり、いよいよ職場配置。出来れば営業職に就きたかったが、苦手のプログラマー。言語がHPL(日立のPL/1)。
 苦手意識も働いて、日に日に
「なんて自分は使えない人間なんだ」
と焦り、入社1年で仕事(人間関係も含めて)にすっかり行き詰まってしまった。

 当時の課長さんに
「会社辞めさせてください。」
と泣きついた。居酒屋でご馳走になりながら
「石の上にも3年と言うが、せめて2年くらい頑張れ!」
と言われ、
「それでも課長!」
という勇気もなく毎日、毎日胃を痛めながら会社に行った。

 不思議なことに、ちょうどそのタイミングで、配置転換。
「新しい部署を立ち上げるから精一杯やってこい。」
と、課長に言われた。
 技術者と顧客の間を取り持つ「セールスエンジニア」という職種は希望していた仕事だった。一から出直すつもりで働いたので、残業・休日出勤は当たり前だったが何の苦にもならなかった。

 当時は、日立のデモ製品の展示会担当として全国を飛び歩く毎日だった。