●体の弱かった子供時代
 昭和43年2月4日、斉藤家の長男としてこの世に誕生。子どもの頃は心身ともにとても弱かった。

「僕はなぜ生きているのだろう?」
「年をとったらどうせ死ぬのに何で学校(幼稚園)に行かないといけないの?」
「なんで勉強しないといけないの?」
「なんで友達と遊ばないといけないの?」

と、いつも頭の中でモヤモヤしていた。

 子どもにしてはめずらしく、リウマチ・偏頭痛を持っていて幼稚園・小学校には本当に行きたくなかったから、よくズル休みをしていた。
 そんな弱気で、何の希望もない自分なので、学校に行くと、いじめられた。そのことがさらに学校に行きたくないという気持ちを強くさせた。そのため小学校4年生ぐらいまでは、学校をよく休みがちで成績も悪かった。

 そんな私にも転機がおとずれた。
 小学5年生の頃、「あばれはっちゃく」というテレビ番組に出てくる活発な主人公の姿をみて、
「どうせ生きるなら、僕もこうなりたい。おもいっきり生きたい。」
と思った。

●変わり始めた自分
 それからは、弱気な自分を、強気な自分に変えようと必死に努力し、勉強も頑張ったが、中学時代の成績は思う様には良くならず、友達の付き合いで入った柔道部でもよく負けた。

 高校ではバドミントン部に入部したが、部活が終わって疲れていても、欠すことなく夜2~3時間は勉強した。
 その成果もあり、なんと学年で460名のうちトップの成績を修めることができた。
 その時、
「やれば僕にもできる」
という自信が自分の中に出てきた。

 大学受験は、公立大学の商学部を推薦入試で目指していたので高校3年生からの一年間は毎日16時間の勉強をした。(今、思えばとてもできないが・・・)
 自分なりに自信をもって12月に受験したが結果は不合格。今思えば大したことではないが、
「もう何もかも終わりだ。死んでしまおう。」
と考える程ショックだった。

 そんな時、僕のことを面倒見てくれていた先輩が厳しく叱咤してくれた。
 僕はなぜか、
「もう一度ゼロから頑張ろう」
と決意した。
 2月の受験に挑戦し、16倍の競争率の中、産能大学(当時は産業能率大学)に合格。大学は遠く、通学に2時間半かかった。
 経営情報学部の情報学科だったが、あまりパソコンとかコンピューターに興味をおぼえなかった。